2024/11/02
肩甲骨には非常に大きな動きがあり、それは若い学生たち、特に幼い子供たちの背中を確認すれば誰もが容易に大きな動きが確認できます。
しかも肩甲骨は腕・上肢の土台として、かつ体幹として非常に重要な構成体なのですが、これまで特に臨床の現場ではさほど重要とはされてはおらず、この動きはさほど重要ではないものと見つめられてきたのが実情です。
実は力強さが求められるスポーツ動作では身体のつくりからみて、いわゆる体幹の重要な構成体であるこの肩甲骨をいかに使いこなせるのか、という点がきわめて重要なのですが、整形外科学では肩甲骨を含めて理想的で正しいであろう身体の使い方について、一切立ち入ることはありませんでした。
なぜ、身体のつくり、特に骨・関節・筋など運動器をもっともよく知るはずの整形外科において、肩甲骨も含めた身体のよき使い方なるものが重要視されてこなかったのか、それにはいくつかの止むを得ない理由があります。ここでは、私なりに皆さんにこの部位を理解していただけるよう紹介していきます。
読者の皆さんにとって少しは難しくなりますが、スポーツ関係者、特に上手さ・強さの謎解きを真に求める方々には、知っていた方がよい知識だと思います。まずは基本的な話から始めてみましょう。
①肩は単純な一つの関節ではない
ヒトの腕の土台である肩という関節は単に一つの関節ではなく、三次元の動きが可能な二つの関節で構成されているとみてよいでしょう。一つ目は、腕の骨が肩甲骨の受け皿にはまり込み、身体の中でもっとも大きな動きを持つ「肩甲上腕(けんこう・じょうわん)関節」です。この関節は腕をどの方向にも自由自在に動かせる非常に器用で便利な関節となっています。誰もが肩といえばこの関節を思い浮かべますし、格闘技等で肩を脱臼するのもほとんどこの関節です。ここでは関節Aとします。
二つ目の関節とは体幹や五十肩のところでも紹介してきた「肩甲骨の動き」そのものです。この部の動きに関わる筋ですが、頭部や首、胸・背中の肋(あばら)や背骨さらに骨盤といった広範囲から起始し、肩甲骨・腕まで走行する厚みも幅もある複数の大きな筋群が働いています。お相撲さんならすごく筋肉が盛り上がっている部位も含めて正式には「肩甲胸郭(けんこう・きょうかく)関節」といいます。ここは筋肉だけで連結している特殊な関節で、単に骨同士が向かい合った関節ではありません。ここでは便宜上、関節Bとしておきましょう。
ヒトの肩は常にこれら関節AとBの両者が合わさって動かされていますが、実は幼い子供ほど肩甲骨(関節B)の動きは非常に大きく、常に肩甲骨ごと大きく動かして腕を使っています。小さなお子さんがいれば、お風呂でも一緒に入ってよく観察してください。出産された女性ならご存じでしょうが、出産時には肩甲骨ごと肩は頭より小さく、たとえば鳥の羽根のように折りたたまれた状態で生まれてきます。
そして出産直後では、腕は肩甲骨ごと関節B主体で使われているのですが、成長とともに、肩甲骨の可動域が低下し、少しずつ節Aの動きの割合が大きくなっていくとみてよいでしょう。私自身が腕を広げる際に計測データでは幼稚園児でおおよそA:B =1:1程度、それ以降次第に関節A主体で使われるようになり、30代成人ではほぼ2:1程度とみてよいでしょう。(もちろん個人差もあります。)
②肩甲骨の動きは誰にも正確には認識できない
さらに肩甲骨の動きである関節Bには、他の部位にはみられない、やっかいな事情があります。それはいくら肩甲骨が大きく動かされていても、本人はその動きを明確には自覚できないというものです。
いったい、どういうことなのか? 簡単に説明しましょう。たとえば目をつぶっても膝や肘ならどの程度曲がっているとか動いているとか、手指ならどの指がどれぐらい曲がって握っているのか、が認識できます。
一般の関節ではそれぞれが全体を関節包という袋状の包みによって覆われており、実はその包みに関節の動きを認知する神経(関節位置覚)が多く集中して存在しているからです。もちろん関節Aには他の関節同様、動きの存在を認識する神経はしっかりと存在しています。
しかし、肩甲骨はほぼ筋肉だけで体幹と連結しており、他の関節と異なり、関節Bには関節包そのものが存在していません。肩甲骨自体を動かす筋肉への運動神経、そして筋肉の痛みを感じる神経は確かに存在してはいますが、動きを認識する関節位置覚に関する神経は十分には存在してはいないのです。したがってたとえば肩甲骨が背骨から何センチ離れているとか、どれぐらい動いたとか、また何度傾けたなど、本人が正確に自覚できることはありません。
また背中にあって周囲が厚みのある大きな筋肉で覆われており、肩甲骨の動きが本人自身には見えないこと、そして日常は衣服に隠れてしまうこともあって、肩甲骨の動きそのものを日頃の生活で意識することはほとんどありません。腕を大きく振り回しているようなスポーツ動作であっても、より自覚しやすく、見た目わかりやすい関節A他の部位にこだわらざるを得ず、誰もが肩甲骨に関する情報を全く把握できないというのが現実でしょう。
さらに、動きを解析するにしても、関節A・Bが隣接して、両者ともに三次元の複雑な動きをとっており、呼吸による胸郭の動きもあり、肩甲骨が胸郭の周りを滑るように移動しており、正確な運動軸を設定することができません。こういった多くの事情もあって、現在の科学レベルではまだ肩甲骨を正確に解析できませんので、整形外科学という学問的・客観的な立場からは、いっそのこと肩の動きはすべて関節A単独の動きとみなし、関節Bを無視して解析してしまおう、ということになってしまったというわけです。
③加齢により、肩甲骨の可動域は低下していく
繰り返しますが、もともと幼い子供たちは肩甲骨の可動域は非常に大きいのです。どの子供でも生まれる時は肩甲骨が鳥の羽根のように折りたたまれ、肩回りが頭の大きさよりも小さくなって生まれてきます。もちろん幼い子供たちがどんなに肩甲骨を大きく動かして使っていても、彼らにその自覚は全くありません。
いわゆる四十肩・五十肩の発症理由も、この関節AとBの割合が徐々に崩れていくことで、こういった病態を招いてしまうと考えられます。
子供時代は幼い程、手や腕の大きな動きが肩甲骨ごと使われているのですが、その後は成長とともに、肩甲骨は動きの大きさだけではなく、次第にスムーズさも徐々に低下し、動かしにくくなっていきます。ですから、手に同じ動きをさせても、誰でも年齢とともに肩甲骨の動きが制限され、もう一方の関節Aの負担が大きくなっていくことになります。
関節A自体も、もともと十分な余裕はあったのですが、こちらも加齢とともに低下していき、かつ関節Bの減った分まで負担が増えてしまうことで、どこかで悲鳴をあげてしまうことになります。私はこれがもっとも単純な四十肩・五十肩の発症理由と考えています。
いわゆる肩こりも加齢とともに肩甲骨の動きが低下してくことが背景にあり、できるだけ動きが保たれていることが好ましく、それがそのまま肩こり予防にも通じているとみてよいでしょう。巷に紹介されている肩こり体操なるものも、肩甲骨の動きの改善に努めるような、肩甲骨周辺筋群のストレッチとなっているはずです。
ただ、肩甲骨の可動域自体は、中高年からではなく、実はもっと幼い少年少女の時点から、すでに少しずつ低下が進行しており、われわれ中高年では、すでにかなり制限されてしまっているのです。中高年以降は可動域の低下は明らかですし、私も日々可動域の維持には努めていますが、60代後半となり、可動域の低下に加え、筋自体の伸び縮みのスムーズさ、滑らかさの低下といった経年劣化を明確に自覚せざるを得ない毎日です。
最近では、「肩甲骨はがし」といった肩甲骨の動きを積極的に改善させようとする指導もよく見かけます。肩甲骨は鎖骨を介して体幹に連結していますので、鎖骨はもちろん、胸郭の動きにも関係しており、極端に乱暴で強引な手技では、周辺の筋・関節・そして神経組織への悪影響を及ぼす可能性が高くなります。私の立場からは、丁寧な柔軟性の維持・向上を日々欠かさず地道に努め続けることをお勧めします。
④進化から見た肩甲骨周辺筋の機能の大きさ
話が大きくなってしまいますが、哺乳動物の進化という立場から肩甲骨を補足しておきましょう。
ヒトはネズミやモグラなどの原始哺乳動物から、その後の樹上生活でのサル類を経て進化してきたと考えられます。一方、地上を走り回るという別の進化の道をたどった四足哺乳動物では、身体の重さを支持する役割は、身体の前後の中心近くに位置する前脚が主に担い、対してもっとも後に位置する後脚は蹴りだして身体を移動・駆動させる役割となっています。
原始哺乳動物では、肩は肩甲骨・上腕骨そして鎖骨から構成されています。しかしあまり知られていないと思いますが、四つ足哺乳動物では、鎖骨はありません。身体の重さを支えて地上を走り回るという四つ足の立場からは、鎖骨は不要となって消失し、前脚では肩甲骨ごと筋肉だけで身体の重さを支えていることになります。対して樹上生活をおこなってきたサル類そしてヒトにおいて鎖骨は消失しませんでした。
ヒトの鎖骨は身体から浮き上がっているのが明確に観察できます。S状に蛇行した形状をしており、腕や脚の骨に比較して、幅も細く厚みも薄く、強度的にもさほど頑丈ではないことがうかがえます。実際、鎖骨と肩甲骨のつなぎ目である関節が脱臼(肩鎖関節脱臼)することも多いのですが、たとえ脱臼が整復されず、そのまま放置された状況であっても、日常生活程度ではせいぜい鈍痛程度で特にさほど困らないことが多いのも治療現場ではよく見受けられます。
こういった傾向が明確にありますので、鎖骨本来の役割とは、身体の重さを中心的に支えるような力強さを担った仕事ではなく、腕や手を正確で安定した軌道や距離感で使うため、腕の土台である肩甲骨のコンパス程度の役割であったと私はみています。
ヒトでは直立二本足歩行が可能となり、身体の重さを支える担当は下肢となり、上肢・腕はその役割から解放されました。そして繊細で器用な作業が可能となった手指を前方だけではなく、側方そして後方でも作業させるため、腕の土台である肩甲骨を胸郭の後方へと回らせ、手指の使える範囲を身体の前方から側方、そして後方へ広げていったものと考えられますが、手指はあくまで小手先であり、器用さはあっても、力強さは期待できない部位です。
対して、肩甲骨周辺は自身の荷重支持から解放されたとはいえ、サル類のぶら下がり移動と同様、ヒトでは腕立て伏せはもちろん、ボルダリングや懸垂といった動作も可能で、肩甲骨および周辺筋の持つ機能の大きさが推し量れます。腕を使うスポーツ動作ではこの部位を最大に生かすことが身体のつくりからみて理にかなった使い方とみてよいでしょう。幼い子供たちで観察しやすいのですが、年齢に関わらず、ヒトでも肩甲骨ごと腕を使うことが哺乳動物共通の使い方の大原則であったと私は考えています。
⑤整形外科の立ち位置
整形外科の治療の現場からも、この部位にこだわってみていきましょう。
ヒトの関節Bを見つめ直してみます。この部位は筋肉だけで構成されており、通常の関節と異なり、関節の構成体としての関節軟骨は存在しません。さらに靭帯もなく、関節部分を取り囲む関節包もなければ、もちろん関節液も分泌されません。あるのは唯一筋肉だけ、という極めて特殊な関節です。
したがって、整形外科医が治療の対象とする、関節内の骨折・脱臼・関節炎、その他種々の対象疾患は一切ありません。あるのは筋肉・神経痛に関するものだけで、多くはほぼ「肩こり」程度ということになります。もちろんさまざまな疾患に関わるものもありますが、多くは外科的治療の対象にはなりません。
外傷では肋骨や肩甲骨の骨折もありますが、肩甲骨骨折の場合、最初は痛くて腕を動かせないのですが、その後の1週間足らずのわずかな期間で、関節A単独での腕の動きが徐々に可能となり、ほぼ2~3週間程度で日常生活レベルには困らない程度に改善してくれることが多いのです。肋骨骨折もほぼ同じです。
もともとヒトの腕も、四つ足やサル類と同様に、腕立て伏せや懸垂など自身の重さを支えることが可能です。痛みが改善するにしたがい、この部位の筋力が多少低下してしまっても、腕の重さを動かす程度にはすぐに回復してくれます。結果として、外科治療を要することはまずありませんので、整形外科医の立場では関節Bを重要視することはなかったというわけです。
私もそうだったのですが、整形外科医への道を志したからには、手術のできる腕のたつ整形外科医を目指し、できるだけ早く、数多くの各種手術症例を経験し、日々腕を磨き、外科医として確かなスキルを身につけることが最優先の課題でした。経験を積み重ね、熟練すればするほどに、現状に満足せず、難治症例の対処法やさらなる良い治療成績が期待できる術式を追求し、現状にとどまることなくレベル向上を目指すことになります。
⑥車にたとえてみよう
こういった整形外科医のスタンスは車にたとえるとよくわかります。どんなにペチャンコになって走れなくなっても、できるだけ元通りに修復して走らせることができるかどうか? より難しければ難しいほど、何とか走れるようにあらゆる知恵を絞りだし、工夫を凝らし積み重ね、何としてでも元通りの機能回復に努め続ける。いくら難しくても腕を振るって何とか回復させられるかどうかにこだわり続ける。これが整形外科医本来の腕の見せどころであり、誰もが目指す立ち位置であるとみてよいでしょう。
車メーカーなら、安全性、耐久性、燃費のよさ、乗り心地、デザイン性、馬力やスピードなど、さまざまな目的に合わせ、理想的な車づくりを目指しています。われわれ一般ユーザーであれば車の機能・性能を選び、それらをできるだけ引き出しつつ、正確で安全、燃費も考えた丁寧な運転が勧められます。
レースとなればメカニックなら、あらゆる装備や備品に工夫を凝らすでしょうし、レーサーであればスピードに加え、高度で華麗な運転テクニックを求めて、レベル向上に励むことになります。それぞれが目的にあわせ、できるだけ目的にあった車を選び、理想的な走り方を追求しているのではありませんか。
ヒトの身体も、車と全く同様に、必要な目的に合わせ身体のつくりからみて、持てる機能をできるだけ引き出して理想的な使い方を追究する、といった立場もあってよいはずです。皆さんも日々、筋トレや柔軟性を高め、レベル向上に努めておられるでしょう。
ただ、治療の必要性があってこその医学です。障害予防やリハビリも整形外科の守備範囲ですが、外科的治療に比重を置き続けるスタンスは変わらず、治療・予防の枠を超え、それ以上に身体を見つめることはありません。いくら身体のつくりを熟知してはいても、スポーツ現場に立ち入り、パフォーマンス向上にこだわってスポーツにおける上手さ・強さの謎解きを試みることはなかったのです。
⑦まとめ
こういった立場から、「肩甲骨および周辺筋」は、ここまでに挙げてきたいくつかの理由によって、整形外科では20世紀まで、肩甲骨は動かない・動かなくてよい、最終的にはいっそのこと無視してよい、せいぜい体幹の一部という程度の扱いになってしまっていたとみてよいでしょう。
ただし、21世紀以降の現在では徐々に、肩甲骨の存在や機能も重要視されるようになり、特に投球障害では肩甲骨を含めた機能評価が現在ではしっかりおこなわれるようになりました。しかし、あくまで障害の評価そして治療目的にとどまっているのが現状です。
私は、さらにもう一歩進めて、スポーツ現場における肩甲骨・腕の理想的な使い方ともに、上手さ・強さの謎解きについても追求してきたのですが、続きはまた「脱力が力強さを生む」というテーマのところ他でお話しします。各部に力強さを発揮させる方法ですが、それは筋力を如何に大きく発揮させるか、という点からのアプローチになります。要点を言えば、そんなに難しい理屈ではなく、ただ各関節の動かす順番がきわめて重要だというものです。